2010年は京都府知事選挙の年。同知事選に向けて、「民主府政の会」が推す門ゆうすけさん(54)=医師、京都民医連第2中央病院院長=と、「わらじ医者」と親しまれている早川一光さん(85)=幸・総合人間研究所所長、わらじ医者よろず診療所所長=が対談しました。「ひと・いのちが大切にされる京都府政をつくりたい」と門さん。「矛盾を変えるのは住民の力」と早川さん。医師としての原点、府政のリハビリ、住民の力・地域づくりなどについて大いに語り合いました。

もん・ゆうすけ 54歳。京都市上京区在住。京都大学医学部卒業。京大卒業と同時に、京都保健会右京病院に入職。87年4月から同保健会京都民医連中央病院内科医長(神経内科)に就任、同綾部協立病院(現京都協立病院)、環境保健会田中診療所所長、信和会京都民医連第二中央病院副院長、京都民医連会長などを歴任。現在、京都民医連第二中央病院院長・信和会理事長。

はやかわ・かずてる 85歳。京都市北区在住。京都府立医科大学卒業。1950年、西陣に住民出資による白峯(しらみね)診療所を創設。58年に堀川病院に発展し、院長、理事長を歴任。87年からKBS京都ラジオの長寿番組「早川一光のばんざい、人間」(毎週土曜日午前6時15分~8時25分)のパーソナリティーとして活躍中。現在、「わらじ医者よろず診療所」を開設し、さまざまな医療相談にのる。

2人の原点

終戦のショックと水俣病問題の実感

門ゆうすけ

  お久しぶりです。早川先生の本はよく読んでいたんですが、先生と初めてお会いしたのは、私が京都民医連会長として2年目だった2006年、「九条の会アピールを支持する京都医療人の会」の世話人の集まりだったと思います。初めてお顔を合わせたというのに、気軽に声を掛けていただきました。

 早川 そうでしたね。この人が京都民医連の会長をなさっている方なんだ、お若くて立派な方だな、と印象深く思いました。はつらつとして聡明で。40代で会長をなさったんですね。ぼくと30歳余りも違う(笑い)、1月3日で86歳になりますから。

  はい。あの時は、あまりお話しをする時間はありませんでしたが、先生がさかんに「九(く)条の会」とおっしゃっていたので、どっちが正しいのか混乱してしまいました(笑い)。

早川一光

 早川 言いやすいからね(笑い)。世話人になったのは、憲法九条を守ること、反戦がぼくの人生の原点だからね。あの戦争が終わった1945年は京都府立医科大学3年生、21歳の時。「天皇のために死ぬんだ」「正しい戦争」ということを教わっていたぼくらにとって、そうではなかったというショック、カルチャーショックが大きかった。それで自ら学問し、疑問を持つことが大事だと痛感し、学生自治会をつくれという運動を起こしたんです。門さんも学生自治会で活躍されたと聞きました。

  私は1974年に京都大学に入学し、4年生の時に医学部学生自治会委員長をやりました。自治会で活動するかたわら、サークルで水俣病問題に取り組みました。水俣病問題が私の出発点だったと思います。

 早川 ほう、公害問題ですか。それはどういうこと?

  「4大公害病」といわれるイタイタイ病、水俣病、第2水俣病(新潟水俣病)、四日市ぜんそくについて、知識としてはありましたが、終わった問題だと思っていました。ところが、水俣病の現地に行ってみると、いまだに問題になっていることを実感しました。患者さんの家を訪問して話を聞いていると突然、「しんどい」と言って患者さんが横になるんです。感覚的に「何かが起こっている」と。

 早川 水俣病問題が人生の大きな引き金になったんですね。
ぼくの場合は、戦後の荒廃した医療と貧困の中で、困っている人の医療を何とかしたかった。そのヒントは、「農民とともに」をスローガンに農村医療を探究した佐久総合病院(長野県)の若月俊一先生(2006年死去)の取り組みです。西陣で働く人たちと一緒に、住民の手による、住民のための、住民の医療をめざして、住民出資による診療所づくりを一生懸命にやった。1950年に白峯診療所(上京区)を創設でき、診療を始めたんです。「育児の百科」で有名な、京都大学医学部出身の松田道雄先生(1998年死去)らがずっと応援してくれました。

京都民医連結成と発展で共通の思い

  京都民医連の前史ですね。1950年に仁和、待鳳、白峯、柏野の4診療所で関西民病連京都支部が設立され、1953年には京都民主的診療所連合会、京都民医連の結成へと発展したわけですね。

  私が生まれたのは1955年ですから、結成は生まれる前です。7年前に編さんされた、1900ページに及ぶ「京都民医連の50年(運動方針集)」には、1955年の京都民医連第1回大会の議長を早川先生が務められていたことなどが記録されているんですよ。

 早川 55年も前のことですね、懐かしい。ぼくは京都民医連の結成にかかわり、門さんはいまその中心で活躍されている。世代は違うが、共通の思いがありますね。

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府政のリハビリ

 早川 ところで、門さんが京都府知事選挙に出られることをお決めになった理由は?

  府民のみなさんが格差と貧困の拡大・ふるさとを壊してきた「構造改革路線」からの転換を求めていること、自分自身が専門としてリハビリを選んだこと、府北部で暮らした経験があること、そしてPTA会長を務めたことなどです。ひと・いのちが大切にされる京都府政をつくりたいと強く思いました。

 早川 すぐれた臨床医をめざして京都民医連を発展させながら色々とやってこられた門さんが、一転して今度は京都府のリハビリをやり抜こうと?

府北部は第二のふるさとなんです

  リハビリのアプローチの仕方は大きく言って2つあります。本人を良くして障がいを克服すること、もう1つは環境を変えることです。リハビリというのは生活を見ているわけですから、社会のありようを変えることによって1人ひとりの生活を変えられると思うんです。

 早川 なるほど。臨床医から不退転の決意で地方自治体のリハビリをするという大きな志ですね。「立派な方だな」というぼくの第一印象通りだ(笑い)。

  それから、1991年から6年間、綾部で暮らし、北部の医療を経験しました。府北部は第2のふるさとなんです。結婚4年目で3歳の長女、0歳の長男、妻と4人で引っ越しし、綾部協立病院(現京都協立病院)に勤務しました。北部の医療崩壊の実態を身を持って知り、同時に農林漁業、第1次産業の振興がどうしても必要なことを実感したんです。

 早川 よく分かりますよ。ぼくも1999年から7年間、美山町(現南丹市見山町)の美山診療所で農村医療に従事したから。当時、診療所の医師が病気になられた。町長、助役、町議会議長さんらたくさんの人がぼくの家に来られて、「診療所の灯を消さないで」と訴えられた。「町が責任を持って診療所を。中身はぼくらが作りましょう」と引き受けたわけです。ではPTAとは?

  2002年に小学校のPTA会長を務めました。1人ひとりの能力を伸ばすために、少人数学級で子どもを主役にした現場の自主性に依拠した教育行政が必要なんです。しかし、学校は上意下達の組織になって、校長がこう言うたらこうだという形になっている。私は個人的には好きなんですけどね。もう一方で、その地域を担っている人たちの役割はものすごく大きい。地場産業、自営業者の人たちが学校にものすごい愛着を持ち、学校を応援するわけです。

 早川 ぼくも西陣で診療をやって、西陣の人たちに教えられました。地域の人が「病人はないか」と一軒一軒回って、ぼくのところに往診先を連絡してくる。自分の体は自分で守り、自分で治す。隣の人も守る。自主・自立と共生です。その連帯性と苦労があっても乗り越えていくという、住民の力は非常に大事ですね。

  はい。地域をなんとかしなあかん、お互い助け合っていこう、と。PTA会長を経験して、地域社会をつくる中小企業、自営業者が暮らしていけるよう地域社会の土台をつくらなければと痛感したわけです。

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住民の力

 早川 ぼくは常々、世の中が変わるのを待つのではなく、変わらせていくのは住民、国民1人ひとりの力である。矛盾があればこそ変わる。矛盾が矛盾のままでは進歩しない、と言っています。例えば、沖縄の米軍普天間基地の問題。住民が何を求めているか、「基地はいらん」と言っている。自分たちで考えて結論を出しているわけです。門さんはこの半年、府内を回って感じることがあるでしょう。

  府内全域を回り、たくさんの人と懇談しました。感じたことは、人口約1700人の笠置町、約2400人で高齢者率41%の伊根町から、約140万人の京都市まで、人口だけでなく、自治体によって抱えている問題、表れていることは全く違うということです。

「地域住民主権」と自治の力を引き出す

 早川 住民が求めていることも地域で違いがある?

  はい。取り組むべき優先順位も違うと思います。解決の道筋ももっと細かく違うでしょう。ですから、住民の意思で参加して作っていかなくてはなりません。住民自身が自らの生活領域のあり方を決定し、自ら実践していく「地域住民主権」が大事だと思うんです。

 早川 それは大賛成。住民が自ら治める。自分たちで考えて、自分たちで守っていく。そういう自治の力を引き出すのが政治ですわ。

  行政の最も大きな役割は、地域に入り地域要求をつかみ、それを政策にすることだと思います。「府庁をあげて地域に入る」「府民に見える府庁」、これが求められる府庁の姿だと思います。

「千回規模の小集会を」政策づくりで努力

 早川 そこで門さんに注文したい(笑い)。「俺のマニフェストに賛成する人は一票投じてください」というのではなくて、住民から出される願いや要望を一緒になって議論して、熱い話し合いの上で政策を形にしていってほしいね。

  はい。いま、各分野の政策案づくりでも努力しているんです。

 早川 地域ごとに熱い意見交換と議論の場である小集会を1000回規模で開いて、住民の要求をくみ上げることが大事です。住民の求めるものにこたえる知事になってほしい。期待していますよ。

  知事選まで3カ月余です。必ず勝利できるよう頑張ります。