2月22日の第49回はたらく女性の京都集会(京都テルサ、350人参加)での、「年越し派遣村」村長を務めたNPO法人「もやい」の湯浅誠事務局長の記念講演(大要)を紹介します。
 湯浅誠氏の講演(1)
 今日は、「派遣村」のことをきっかけに話しますが、基本的には日本社会の構造、貧困とはどういう問題なのかということを話したいと思っています。結論からいうと、貧困の問題は“かわいそうなあの人たち”の問題ではないということです。つまり、今のような状態がつづくと、中間層が没落していく、もう貧困の段階にはいっているという話です。
 日本では、1970年代以降、基本的には貧困は終わった、一億総中流と言われていましたが、日雇い労働者や母子世帯はずっと貧困だった。母子世帯のお母さんは、子ども抱えて正規雇用に就くのは難しく、就労率は世界一高くて85%近いにもかかわらず、収入は一般世帯の3分の1という状態が続いています。そういう貧困は日本社会にずっとあったけれど、ちゃんと見ようとされていませんでした。日雇いの人たちは「ちゃんと勉強しとけばよかったではないか」と言われ、母子世帯の人は「だったら離婚しなきゃよかったじゃないか」と言われ、自己責任論でふたをされてきた。そうしたら、貧困がだんだん広がってきました。
 私は、95年から野宿の問題にかかわっています。路上にいる人を相手に活動していたら、「ネットカフェで寝泊まりしてるけど食べていけない」とか、「アパートに住んでいるが食べていけない」と、高齢者、女性、障害をもっている人だけでなくて、若い人たちとか一般世帯という両親がそろっている世帯とかを含めて相談が寄せられるようになりました。広げるつもりはなかったのに、どんどん貧困が広がっていったという感じなんです。母子世帯や野宿の問題を放っておいたら、だんだん若者にも広がって、ワーキングプアとか、非正規の働き方とか、そういう問題が積みあがっていった。90年代、野宿、元日雇い労働者、母子世帯とかずっと続いてきた貧困、これが1階部分で、2000年に入って若い人たちが2階部分に乗っかってきて、この前から派遣切りされた人たちが3階部分にどっと乗っちゃったというような感覚をもっています。
 結局、「条件の悪い働き方をその人たちが望んでいるから」とか「自己責任でしょ」とか言って放置してきたから、その条件に引っ張られるようにして全体が下がってきたんです。これを女性の運動をやっている人たちは、男性労働の女性化だと言っていますし、野宿の問題をやってきた立場から言うと、日本社会の寄せ場化といったりします。(つづく)