今春、創部100周年を迎えた龍谷大平安(平安)が15日、記念招待試合として愛媛の松山商業と対戦することを知り、西京極球場へやってきた。松山商業が創部100年となった2002年、6月には平安が愛媛に招かれて「坊ちゃんスタジアム」で対戦したという。それから6年が経過した今年、秋に行われる今回の試合は「その義理か、お礼で」といった意味合いと思った。
 甲子園での互いの対戦成績は平安の4連敗。それは昭和3年、5年、6年春のセンバツ大会と、最近では2001年夏の準々決勝だったという。昭和初期の試合はどんなものだったかわかるはずもないが、7年前も観ていないのでわからなかった。この対戦の重要性を考えるとするならば、この辺にヒントがあるのだろう。
 校名が変更になった龍谷大平安と松山商業。100年以上の歴史を擁する伝統校同士で、互いに甲子園での通算勝利数で争ってはいるものの、なぜ記念試合を松山商業と対戦するのかについては、やはり少し疑問が残っていた。
 11時頃に球場に到着するとしばらくして、松山商と龍谷大平安の選手や関係者たちが記念撮影のためセンターの芝生と土の分かれ目のところに集まった。バックスクリーンには「祝創部100周年記念試合」「龍谷大学付属平安高校硬式野球部」と表示されている。撮った写真にはこれらの表示もきっちりと写っているのだろう。
 球場出入り口に戻って、外から風景を確認してみる。生徒、一般、保護者、来賓、野球部OBの列を作って、それぞれがどこから入場するのか分けてあった。一般客の私はB4版二つ折のパンフレット(水色)と校歌が表記された団扇(うちわ)をプレゼントしてもらった。平安100年の文字ももちろん裏にあった。
 球場外の広いスペースを使って、チアリーダーが式典の最終練習に汗を流している。球場に戻ると、グラウンドでは吹奏楽部の生徒たちが軽い音合わせをしている様子で、聞き覚えのある応援歌を演奏していた。通路で観客を分ける平安関係者の1人に曲名を尋ねてみた。「空紺碧(こんぺき)に、…やったかなあ?うちでは『ソラコン』と呼んでます」と教えてくれた。この曲は、何年か前に亡くなられた音楽の先生が作曲されたようで、今生徒たちの前で指揮している先生が最近の新曲を全て作ったのだそうだ。
 音楽の先生と思いきや、社会の科目担当で、部の顧問であることを聞いた。「野球部のことで聞きたいことがあれば、あの場所に座っておられるご年配の人たちに何でも聞いてください」と付け加えられた。
 ホームベース周辺には、旗が3本飾られてある。過去の甲子園での優勝3回を物語っている代物だった。
 場所を教えてもらったぐらいで、すぐに駆け付けられるほどの質問が用意できていない。試合前に一塁側から三塁側を行ったり来たりしているうちに、式典が始まった。
 あいさつの内容は、両校を称えるもので「甲子園における雌雄を決する対決は過去4度。平安は4戦全敗しています。本日は勝ちたい、勝たせてもらうではなく勝ちたい」「2001年夏の対戦直後に松山商捕手が『いつまでもこの試合が続いてほしいと思った』と言ったこと」「大正、昭和、平成での優勝、計7度を誇る松山商に対し、平安は計3度にとどまる」と、まず紹介された。
 次に、「平安は日本の高校野球の歴史」「夏勝利数日本2位から、この100年を契機にさらなる飛躍を」「来夏にこの対戦で素晴らしい試合が観たい」と語った。ようやく少しずつ両校の置かれる地位、立場というものがわかってきたのだった。(つづく)
(写真=龍谷大平安、松山商の記念撮影)