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大商大事件を語る─林直道大阪市立大名誉教授(4) 思想弾圧 大阪商大事件

平和・民主主義

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2008年08月19日 10:30

大商大事件を語る─林直道大阪市立大名誉教授(4) 思想弾圧

 日本学生運動史上の3大事件といわれる「大阪商大事件」について、当時大学生で大商大弾圧の被告でもあった林直道大阪市立大学名誉教授が7日、立命館大学平和ミュ-ジアムで当時の体験を語りました。その内容を12回に分けて再録します。

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<< (3)戦時ファシズム体制
 私が大学予科に入ったのは1939年で、徹底的な没収のあくる年で書店に何にもない。私の上級生は結構本買ってるんですね。1年違いで私たちは本も何にもない世界で、あの時は恨みましたね。「何でもう1年早く生まれなかったのか」と。
 それから1939年文部省の先頭に立ってマルクス主義の理論を批判して全国を講演してまわっていた、河合栄次郎という自由主義の東大教授がそろそろ弾圧の対象となってまいります。もう役割果たして、マルクス主義、左翼の本を徹底的に弾圧したらこれの批判の急先鋒になっていた人まで邪魔になって、自由主義まで弾圧の対象になったんです。これに対して文士聯隊とか文芸家協会が軍部から言われて仕方なく、「文芸銃後運動」とか前線兵士激励・戦意高揚活動に一生懸命になったわけですよね。西條八十なんて演歌の世界では花形の作詞家ですけども、西條さんもそんな文化をよくつくっておりましたな。

 それから1940年には津田左右吉の「神代史の研究」、新協・新築地劇団が弾圧の対象になりました。みなさんもご存知の千田是也とか滝沢修らですね。有名な新劇の俳優たち100人が検挙された。綴方教室が数百人検挙されました。
 1941年には予防拘禁制ができました。内閣情報部がこういう者には執筆させないようにと、総合雑誌に内示した執筆禁止者リストなんてものを載せたんですね。このとき私が通っていた大阪商大の当時の経済研究所では『経済学小事典』というのを編さんしていました。最初は全部一通り校正できてたんですがその中に執筆禁止者リストの人たちがたくさん入ってるので、「こりゃいかん」と編集部では別の筆者に頼んで項目書き換えさせました。その項目を書き換えた人がまたリストに挙がってきたねというと、また差し替える。第4版まで全部校正済みの赤い線が残ってましたが、つぶさにみたら本当に妙な言論弾圧の歴史でしたね。
 しかし後にはこういう辞典を出すこと自体が国策に沿わないことになって、辞典の出版は取りやめになったんですね。ですから戦争直後に『経済学小事典』が岩波書店から大阪商大経済研究所編で出ましたが、あれは第4版を基にいくらか書き換えたものが戦後出たわけですね。だからそういう時までまだ研究はずっと続いていたという、非常に感動的な話であります。

 1942年になると有名な細川嘉六さんの横浜事件が起こります。嘉六さんの出版記念の会合が行われました。それが日本共産党再建の陰謀だなどとでっちあげられ、ものすごい拷問の結果、特高警察の書いた調書に指を引っ張るように朱肉をつけて押させる。そういうことまでして共産党再建事件をでっちあげて細川さんや雑誌記者数人が治安維持法で検挙されたんです。戦後、名誉回復運動が起こって控訴したんですが、いまだに日本の警察や裁判所は、横浜事件の無罪の被告たちの訴えをどうしても聞かないんですね。そしてなかったことにして、無実の判決をついに出しませんでした。
 1944年に毎日新聞が「竹槍では間に合わぬ」と書いたのでけしからんと、記事を書いた記者が懲罰で前線へやられちゃう。こんなふうなのはほんの一部分でありますが、枚挙に暇ないほど思想弾圧、言論弾圧がずっと続いていたんですね。そういうさ中に私は大阪商大の予科に入ったわけであります。(つづく)