戦没者遺族の会は「第28回平和のための京都の戦争展」の文化企画として7日、「遺族が語る戦争体験――その時家族は、その後私は」を開き約40人が参加しました。
 堀米和彦さんの発言の要旨を紹介します。
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 母は川崎軍需工場で働いていた時、じゅうたん爆撃を受けて亡くなりました。父はパラオで玉砕しました。
 疎開して京都に来て、祖母に育てられました。中学生のときに自分が戦災遺児だと気付きました。それまで兄弟だと思っていた人が兄弟ではないことを知り、ショックでした。
 それでも育ててくれた祖母と2人で何とか生きていかなくてはと思い、中学を出て就職しようとしましたが「身元引受人がない」と差別されました。何とか自動車工場に就職したものの、差別や仕事内容に16歳の私は耐えられず1年で別の仕事につきました。自分一人でも生きていけるように、大型免許や危険物取り扱いの資格をとりました。
 このころは、何がなんだかよくわかっていませんでしたが、今では世の中のことがよくわかるようになり、平和とは、人と人が争いごとを起こさず、仲良くすることだと考えるようになりました。
 今も世界で起こる戦争を知ると苦しくなります。小学生の登下校を見守るボランティアをするのが生きがいです。
 「戦争反対」と訴えることが私の使命だと思います。