去る4月29日に亡くなった随筆家の岡部伊都子さんと交流のあった「週刊しんぶん京都民報」読者から、追悼文が寄稿されましたので紹介します。

岡部さんを偲んで 京都市南区・河合 俊治(81)

 岡部さんと交流するようになったのは、15年ほど前で、手紙を10通ほど下さっています。私のごとき者にさえ、とても心のこもった丁寧なもので、頂戴するとしばらく鞄(かばん)の中へ入れて持ち歩いていました。
 お出会いしたきっかけは、沖縄にありました。愛楽園(ハンセン病療養所)を訪問しました時、宿舎で元療養者の方から、数年前に東京でローマ法皇(前)のミサに参加した帰途に、岡部さん宅へ招かれてご馳走になったと聞きました。美しい皿々、手料理の数々。心のこもったそのおもてなしの感動を涙を浮かべて語られました。
 岡部さんは、40回の訪問の合間、この療養所にも立ち寄られ、激励されていたのです。元療養者の方から聞いたことを岡部さんに手紙でお伝えしたら、お礼の手紙を添えて、『二十度線 沖縄に照らされて』のご著書が送られてきました。
 また、M共同作業所の資金をお願いしたら、「楽な生活ではないんですよ」といいながら、10万円のカンパを寄せてくださいました。多くの運動団体に資金の援助をされていたようです。お宅にお伺いした際、その清貧の生活ぶりは見事でした。
 100冊余の著書。反戦・平和の語り部として生活。今にも倒れそうな虚弱のお身体からどうしてあの様な情熱があふれでてくるのか。ただただ感心するばかりです。仏像大好きな彼女は、興福寺の阿修羅像が一番ふさわしいように感じます。
 神戸におられる時から生協運動に関心を持たれ、京都市の岩倉、加茂のほとりの二度の転宅の時にも生協がお世話しました。その時、横関生協理事に、「私どんなにみえる」と聞かれ、氏は、「あなたは撫子(なでしこ)が一番ふさわしい」と答えられました。花でいうなら撫子でしょうか。
 若い時、結核にかかられ、C型肝炎の持病もあり、病弱の一生。その苦痛の中、よくぞ反戦・平和、弱者の味方としてたたかい抜かれました。
 あなたの意思を継いでがんばることが、伊都子さんの志をつぐことです。安らかにお眠り下さい。