シベリア抑留体験者らで作る「棄兵棄民政策による国家賠償を勝ち取る会」は07年12月26日、シベリア抑留の真の責任は日本政府にあるとして国家賠償訴訟を京都地裁に提訴しました。
 同会によると、日本敗戦時(1945年8月15日)に関東軍将兵約60万人が旧ソ連政府によってシベリアに抑留され、1年~10年の抑留生活を余儀なくされたのは、日本政府が将兵を「いけにえ」として同政府に差し出したことが背景にあったとしています。
 当時、日本政府と軍部首脳はポツダム宣言を受け入れる際の最大の課題を「国体護持」とし、その犠牲に関東軍将兵と在満邦人をソ連に差し出したことは、関東軍首脳がソ連軍幹部にあてた複数の書簡で明らかにされています。「満州に土着するもやむなし」とか「貴国復興の(労働力に)お使いください」と提案する文書が残されています。
 訴訟後の報告会で、弁護団の村井豊明団長は、「60万余の将兵のシベリア抑留がスムーズに行われた背景には、日本軍の棄兵棄民政策があったから。さらに、戦争終了後は、日本政府に兵士を祖国に無事帰還させる義務があった。ソ連に対し帰国要求もしなかったのは帰国責任義務に違反する」と訴訟原因を説明しました。
 原告団団長の林明治さん(83)は、「私たちが国の責任を追及して訴訟を起こしたのは、恒久平和のいしずえになるため。私たちの子や孫の代に日本が再び戦争をするような国にしないためにたちあがりました」と決意を述べました。
 今回提訴したのは30人。全国各地で原告団が組織され始めており、今後原告は増える見込みです。「棄兵棄民政策」を正面から問い、国家賠償を求める裁判は初めてです。(中村秀利)