Top成宮まり子参院京都選挙区候補の「憲法・いのち訪問」 > 大山崎町長 真鍋 宗平さん(65)─〔1〕上

大山崎町長 真鍋 宗平さん(65)─〔1〕上

成宮まり子参院京都選挙区候補の「憲法・いのち訪問」

成宮まり子参院京都選挙区候補の「憲法・いのち訪問」

2007年06月21日 12:31

大山崎町長 真鍋 宗平さん(65)─〔1〕上

 2007年は参議院議員選挙の年。日本共産党の成宮まり子参院京都選挙区候補が各界の人びとを訪問し、語り合うシリーズ「憲法・いのち訪問」を新年号からスタートします。第1回は大山崎町長の真鍋宗平さん。

痛みを共有してこそ 成宮
芸術家は体全体が神経 真鍋

市立芸大で同じ分野を探求
 成宮 新年あけましておめでとうございます。
 真鍋 おめでとうございます。
 成宮 同じ京都市立芸大出身の真鍋さんが町長になられてうれしいです。新町政にわくわくしますね。
 真鍋 成宮さんとは、先輩、後輩になるんですね。芸大では何を専攻されたんですか。
 成宮 油画から壁画、大学院では「構想設計」を専攻しました。油絵や彫刻など従来の美術の枠にとらわれない現代美術の分野で、表現コースなんです。
 真鍋 じゃぁ、ぼくといっしょだ。ぼくは、今でいう、コンセプチュアルアート(概念芸術)という分野です。当時、オノ・ヨーコさんなども初々しいデビュー初期のころで、大学には対応できるカリキュラムはありませんでした。
 成宮 そういうカリキュラムが必要だということになって「構想設計」ができたのは70年代以降。真鍋さんは60年代だから、まだなかったんですね?
 真鍋 そう、なかったんです。それでね、卒業の2カ月前に退学届けを出して辞めて、「ディスプレイ」という新しい分野の仕事を始めました。
 成宮 そっか。真鍋さんたちが前衛芸術を切り開いてこられたわけですね。
 真鍋 今はコンテンポラリー(同時代)アートなどと言われていますが、それを表現する言葉にも苦労した時代で、ハプニングとかイベント、パフォーマンスとか、いろいろに言ってました(笑い)。
 成宮 表現様式として認められるには何十年とかかりましたね。今は、コンテンポラリー美術として自然に受け入れられる時代になってきた。
 真鍋 そうです。自己表現のあり方の1つとして認められています。人間の閉塞状況から生まれる自然な表現です。ぼくらの若い頃は、日本という国はどこへ行くのだろうという不安に根ざしたものだった。そういう時代でした。

平和への思いアートで発信
 成宮 60年代ですね。まだ生まれていないのでわかりませんが…(笑い)。
 真鍋 安保闘争の時、芸大の学生の8~9割がデモに参加していた。
 成宮 えっ、芸大の学生も?
 真鍋 河原町を多くの人が埋める光景は、ある種のパフォーマンス。非日常の空間でもあった。彼らが政治的な行為として考えていたかはわかりませんが。
 成宮 一種のハプニングかもしれないですね(笑い)。
 真鍋 そうですね。
 成宮 いま、9・11のテロやイラク戦争をめぐっては、京都の美術系学生が中心になり、私も一緒に三条大橋でピースメッセージの橋をかけたり、「大切な人」を想うアートパフォーマンスをしました。芸大生にも若者にも、政治的メッセージや平和の思いをアートの形式で発信することが“普通”なんやと実感しました。
 真鍋 若い人が抵抗なく、自己表現できるのはとても気持ちがよい。新しい分野というのは、自分の積み上げたものがそのまま成果になる楽しさが魅力です。成宮さんは誰か影響された芸術家がいますか。
 成宮 ピカソかな。「ゲルニカ」を描き、「作品は壁を飾るためのものではなく、たたかいと防衛の武器なんだ」と発言した姿勢に共感しました。大学時代に湾岸戦争(91年)が起こり、阪神淡路大震災(95年)に遭遇するなど、作品づくりや考え方に大きな影響を受けました。
 真鍋 どんな影響?
 成宮 1月の芸大というのは1年間の集大成の作品づくりで、みんな必死なんですね。そこへ湾岸戦争の開戦が伝えられ、「明日から戦争が起こるときに私らに何ができるのか」と話し合い、作品をつくりながら反戦ビラも書きました。その時初めて、“反戦”のメッセージ性の強い作品をつくりました。また、大学院の修了作品の時は、阪神淡路大震災。作品をつくりながら神戸に救援ボランティアに通ってました。
 真鍋 そうですか。
 成宮 そんな中で気づいたんです。いい作品をつくりたい、その時に、震災や戦争で辛い思いをしている受け手の人たちとつくり手の吸う空気が違ったらあかんやろって。受け手と同じ思い、同じ痛みを共有してこそ共感される表現ができるはずだと。コンテンポラリーなことがリアリズムだと意識するようになりました。

民衆の生活に次代の鍵見て
 真鍋 この乙訓という所は新しい価値観を提示し続けている地域です。1つは民藝運動の主要な人たちが活躍した。
 成宮 陶芸家の河井寛次郎さんや英文学者の寿岳文章さんらですね。
 真鍋 民藝運動は、柳宗悦が日本人に支配されている側の文化、韓国の民衆文化の美しさを気づかせました。人間的で生活に密着した美の素晴らしさを訴えたものです。大山崎山荘美術館に民藝の作品が多く展示されています。
 成宮 私も好きな美術館です。テラスからの三川合流の眺望はすばらしいですね。
 真鍋 大山崎山荘と同じく、天王山を背景に三川合流を一望する建築物がもう一つあるんですがご存知ですか?
 成宮 何ですか?
 真鍋 実験住宅として京都帝国大学建築学の藤井厚二教授が建てた「聴ちょう竹居ちくきょ」です。藤井さんは西山夘三先生に先立つ世代の京大建築学の教授です。公共建築で名前を残すのが帝大の建築学だった昭和の初めに、住宅建築の設計を中心に仕事をしました。自然との融合やゆとりのあるライフスタイルを模索した、当時では珍しい視点でした。
 成宮 民藝運動も家族の住む住宅も、どちらも人々の暮らしに着目しているんですね。
 真鍋 そうですね。
 成宮 河井寛次郎記念館を訪ねたとき、館長をされている娘の須也子さんからこんなエピソードを聞きました。寛次郎さんは、人間国宝や文化勲章に推されても「木を切り、土を掘る職人さんがもらってからでいい」と言いつづけたと。民衆の日々の生活と仕事のなかに素晴らしいものを見い出そうとした目線に、何か次の時代の方向を見つける鍵があるように思います。
 真鍋 そうですね。世の中で芸術家といわれる人は、基本的に「虫歯」に例えられると思っています。
 成宮 えっ?
 真鍋 神経に直接さわると痛いでしょ。芸術家は体全体が神経のようもので、社会の「痛み」を敏感に感じるわけです。
 成宮 はい。
 真鍋 だからこそ、世の中の歪みや人々の要求・願いを表現できるんですよ。

なるみや まりこ: 1969年滋賀県生まれ。京都市立芸術大学院美術研究科造形構想修了後、97年民主青年同盟京都府委員長。2001年日本共産党参議院選挙比例代表候補。03年、05年衆議院選挙に小選挙区京都4区から立候補。京都市立芸術大学美術学部自治会書記長、京都府学連執行委員など歴任。現在、右京区保育園保護者会連合協議会会長。
まなべ そうへい: 1941年香川県生まれ。父は漆工芸家。59年京都市立芸(美)術大学入学。地域計画のプランナーとして各種の企画・プロデュースに携わる。02年、大山崎町長選挙に立候補。「真鍋宗平地域デザイン研究所」代表。06年10月大山崎町長に初当選し、12月に就任。