戦前、治安維持法違反で逮捕・投獄され、十数年前から憲法を題材した作品をつくり続けてきた日本画家の袴田浩園(本名=勇)さんが27日夕、京都市上京区内の病院で肺炎のため死去しました。94歳でした。29日午前、北区内の葬儀場で「出棺のお見送りの儀」が行われ、親族・知人ら約40人が参列しました。
 袴田さんは、和装の図案の仕事をしていた1936年12月、日本共産党の再建に関わったとされて検挙され、治安維持法違反で懲役2年の実刑判決を受けました。
 戦後は、治安維持法国家賠償訴訟原告団員、国民救援会で活動。画家として特高による拷問の様子を作品(縦80センチ、横130センチ)に残すとともに、「どんな攻撃が激しくても、憲法の理念は正しい以上、必ず実現する」と新美の展示会で憲法をテーマにした作品を出品してきました。
 「出棺のお見送りの儀」では、会場に鳩などを描いた作品5点が展示され、「これで、私の人生は、何とか卒業させて貰(もら)います。恩返しもできないで逝(ゆ)く事を、お詫(わ)びします」などと生前本人が書いた「お知らせ」が遺族代表によって読み上げられました。
 日本共産党京都府委員会からは西山とき子副委員長らが、京都民報社からは家野貞夫社長が参列しました。