20060825-04.jpg 終戦直後、帰国途中の朝鮮人を乗せた海軍の「浮島丸」が舞鶴港で爆沈し、多数の犠牲者を出した浮島丸事件で24日、「浮島丸殉難61周年追悼集会」(浮島丸殉難者を追悼する会主催)が舞鶴市佐波賀の「殉難の碑」前で開かれ、韓国から参加した遺族を含め約400人が平和への誓いを新たにしました。
 黙とうのあと余江勝彦会長は、「今後も日本国憲法の立場で平和のための交流を続けたい。日本海は、友好の船が行き交う平和な海です。浮島丸事件から教訓を学び、平和の確立に向けて力を尽くす決意を新たにし、日朝、日韓、日中国民の友好の関係の発展を念じる」と述べました。
 在日本大韓民国民団京都府舞鶴支部の金榮吉支部長、在日本朝鮮人総連合・京都府朝鮮人強制連行真相調査団の柳球采代表が追悼の言葉を述べました。
 韓国から参加した遺族の全承烈さん(64)と太平洋戦争犠牲者遺族会会長の李金珠さん(85)が、同碑に花を供えました。 日本共産党の西山とき子府副委員長(前参院議員)が出席し紹介され、吉田さゆみ衆院5区候補、原としふみ衆院2区候補、舞鶴市議、後野和史舞鶴地区委員長らが参加しました。
 集会後、「浮島丸事件」で国に公式謝罪などを求めた「浮島丸訴訟」の元原告でもある全さんと李さん、原告支援をした青柳敦子さんが、「浮島丸殉難者を追悼する会」に事件にかかわる文書をまとめた資料集を寄贈しました。
 資料集には、裁判で使った事件の内容を説明する文書と日本政府が作製した連合国軍総司令部への報告書などが収められています。
 訴訟は1審の京都地裁が、国の安全配慮義務違反を認め、乗船が立証された原告15人に各300万円を支払うよう命じました。しかし、2審で敗訴、04年12月、最高裁が上告を退け、敗訴が確定しました。
 青柳さんは「京都地裁で認められた事実が、その後の敗訴で資料が裁判所にとどまっている。多くの人の目に触れる場所に出したかった」と話しています。
 今後、京都市北区の立命館大学国際平和ミュージアムなど希望する機関や研究者らに寄贈していく予定です。