元京都総評議長・京教組委員長で京都民報社代表取締役社長を務めた湯浅晃氏が1月31日午前11時、前立腺がんのため相楽郡木津町の公立山城病院で死去しました。76歳。葬儀は2日に近親者のみで行いました。喪主は長男徹さん。
 湯浅氏は京都市出身、1947年、同志社大学予科時代に日本共産党に入党。95年の参院選で日本共産党比例代表候補として奮闘、97年に50年党員に登録されました。
 50年に京都市臨時職員となり、同臨時職員労働組合を結成、同委員長を務めました。57年、京都市立伏見高校定時制に教諭として勤務。その後、京都市立高教組委員長、京都教職員組合委員長、京都統一労組懇専従代表委員、京都総評議長などを歴任。85年の京都市長選で「市民本位の民主市政をすすめる会」の候補者として奮闘しました。
 96年から04年まで京都民報社代表取締役社長を務めました。同時に、京都年金者組合委員長、京都平民退教会長なども歴任しました。
 『戦後京都の労働運動の歴史』(かもがわ出版)、『戦後教育労働運動の歴史』(新日本出版社)など著書多数。