6日行われた民主府政の会2006年「新春のつどい」で、京都母親連絡会の中尾牧会長、民主府政の会北区連絡会の三好邦江さん、狂言役者の茂山千之丞さんの3氏が知事選に出馬表明した衣笠洋子さんへの期待の言葉をのべました。それぞれの要旨を紹介します。
母親運動と民主府政 京都母親連絡会・中尾牧会長
 母親運動と民主府政の会ということを考えますといろいろなことがあります。子どもだったころ、小児まひが子たちの上に襲いかかりました。母親は自分の命に代えても子どもたちを守りたいと思いました。運動して学習して生ワクチンがいいと知ると、「生ワクチンが欲しい」と国にも運動を進めました。
 国は、「生ワクチンはソ連にあるが、ソ連とは国交を結んでいないからだめだ」と言いました。そのとき蜷川さんは緊急輸入をしてくれ、母親の願いをかなえてくれました。子どもたちの命が救われました。
 そして子どもたちが、「高校に行きたい。勉強したい」というとき。高校がなかった。お母さんたちはみんなと一緒に「高校を作って」と運動しました。そのとき蜷川さんは「15の春は泣かせない」と私たちの願いに応えてくれたんですね。そういう民主府政の前進を私は願っています。
 母親大会が京都でおこなわれたとき、全国のお母さんを前に蜷川さんは励ましてくれました。地元の学校で母親大会を開き、自分たちの暮らしの悩みや願いを語り合うことができた。そのことが、母親運動の大きな励ましになった。私は主権者なんだという憲法の根本理念をもっと前進させていけるような民主府政を私は望んでいます。
西陣の母親の苦労理解 民主府政の会北区連絡会・三好邦江さん
 私と衣笠さんとのお付き合いは31年前からです。衣笠さんが白い鳩保育園の保育士をされたときに、私の子どもが乳児でお世話になりました。
 そのとき、西陣・柏野の地域は保育園がありましたが、西陣の子どもは、入れませんでした。織機の横のダンボール箱に寝かされて、大きな機音で、ほこりのなかで、育っているのに何で保育園にいれないんや。私たち母親は純粋に疑いました。
 (役所の説明では)西陣の子どもは、家が職場と家庭と一緒で、親が隣にいるからということでした。私たち母親は怒りました。本当に西陣の子どもがどんな状態に置かれているのか、福祉事務所や役所に見てもらわなあかんと運動しました。
 そこから、全国でも一番小さい、たった1カ月でしたが、たんぽぽ共同保育所を作りました。そのときに、白い鳩保育園から保母さんを派遣してもらって、来ていただいたのが衣笠洋子さんでした。
 それ以来、本当に衣笠洋子さんは、西陣の子どもと母親の実態を一番良く知っておられるし、「西陣は女でもってるんや」、「西陣の母親が目覚めて、立ち上がらなくてはならない」と、運動してきました。今日を迎えられて胸いっぱいです。妹のようにしています。みなさん大事に候補者を支えてあげてください。
お母さんの代表 狂言役者・茂山千之丞さん
 今日、来て初めて衣笠洋子さんにお目にかかっての第一印象は、「お母さんだな」と思いました。先ほど、(衣笠さんの紹介で)お話をされたお母さんの顔を見て(私の母親のことを)思い出しました。
 私、大学中途で軍隊に取られました。町内会長が出てきて「死んで帰れ」と言われました。すると母親が後から、大きな声で、「まーちゃん(本名=政次・まさつぐ)、生きて帰ってや」と言って泣き出した。あの時代「死んで帰れ」と言うのが普通の激励でした。ぼくは、「生きて帰れ」とは言えなかったですね。そのお母さんの代表である洋子さん。聞いていてなんか今度の知事選勝てそうな気がしてきました。勝ちましょう。きっと勝てると思います。